« 朝の出来事 | メイン | TAKESHI »

暗闇の向こうにあるもの

人が目標を見失うとき、どんな行動を取るでしょうか?

たぶん、必死になってできるだけのことを努力して
みようと頑張ってみるものの、結果がちっとも伴わなくて
逆にうろうろしてしまうのではないでしょうか?
それとも呆然自失となって何も手につかなくなる、、。   
どれだけ耐えても、どれだけ頑張っても、「目標・意志」
を見失っているので、どんな結果にも確信や充実感が
ないのです。

松明(たいまつ)で必死に灯りをかかげて方角を知ろうと
しても近くが照らされるだけで、一向に見当がつかないのと同じです。 
だから船を漕いでバタバタしてもどこにも行きつかない…。
運よくどこかの岸にたどりついても、そこは自分の望んだ場所でなかったりします。

「努力すればなんとかなる」とやたら「根性・忍耐」だけに
傾倒して、その“手段”自体を目標にしてしまうと、
何のための努力なのか?という根本を見失ってしまうのす。

だから、結婚したはいいものの、子供ができたはいいものの、家を買ったはいいものの…、
と後のビジョン(未来の意志)が無いので、頑張って
得たものであっても不満や後悔が残ります。
そしてどんどん不安になり、藁(わら)をもつかむ気持ち
“目先の灯り”を求め、一時的にでもそんな自分を忘れようとするのです。

「自分探しの旅」と称して現実の自分という“暗闇”に目
を向けることができなくなると、その“目先の灯り”
だけが唯一の自己存在意義になってしまうのです。

だから、大切なこととは、“目先の灯り”を消すことです。
「~たら、~れば」と自分を縛り付けている条件から自由
になることです。

真っ暗になり不安になりますが、目が慣れてくると闇の向
こうに光がうっすらと見えてくる…
「希望の光」は“目先の灯り”があっては絶対に見つける
ことはできないのです。

タバコやお酒や薬や家族や恋愛や宗教…人は色々なものに
“依存”して生きています。
“依存”する事自体は悪くはないのですが、その“灯り”
だけに頼ってはいけない時があります。
暗闇の中を自分の力を信じて“凝視する目”…つまり、
希望に目を向けるためには、自分で灯りを
全て消して絶望を凝視するしかないのです。

そうしたからといって、“必ず”希望が見えてくるという
保証はありませんが、ドロドロとした絶望という“闇”
にひとり、目を凝らして自分を見出そうとする「勇気」が
ないと、希望はますます見えてこないのです。
そこに「やるぞ!」という意志があれば、どんなチッポケ
な物事でも自由に向かうことができ、充実することが
できるのです。

自分の向かおうとする“港(意志)”がまずあって、
その目印となる“灯台(目先の灯り)”があれば
いいのですが、“灯台”自体を自分のゴールだと向かえ
ば船は座礁し沈没してしまうのです。

<街灯りは夜空をグレーにする>

物事がうまくいかない、こんなのは自分じゃない、
どうすればいいんだ…
こんな風に、自分が方角を失って迷ってしまうときにこそ、
やみくもに頑張ったり自分探しの旅など
場当たり的な“目先の灯り”を消し、腰をすえて自分に
目を凝らせば見えてくるものがあるようです。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://denwauranai.net/cgi/mt/mt-tb.cgi/130

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年05月13日 10:55に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「朝の出来事」です。

次の投稿は「TAKESHI」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。